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東庄町舟戸 左右大神 左右神社

上代郷 総鎮守 左右神社

櫻井子安神社から車で約3分、徒歩15分程度の場所となります。

長い坂道、更に急な階段を登り切った小高い山の頂上に鎮座しております左右神社です。遥か昔、椿の海の北部のこの場所に霊験あらたかな社として奉斎され多くの崇敬を集め連綿と神祭が執り行われて参りました。
山の麓に一の鳥居がありそこから歩いて登ると大変清々しい気分も味わえます。車で頂上まで進む場合は、駐車場が本殿裏手にございます。
天気の良い日は、櫻井子安神社から歩いて向かわれる方もいらっしゃいます。
祭典時以外は、神職は不在となります。
左右神社の近くには、櫻井城、和田城の遺構がありますが現在これらの遺構に立ち入るのは難しいです。

御祭神

伊邪那岐之命(いざなぎのみこと)|伊邪那美之命(いざなみのみこと)
我が国で始めて結婚の制を定め給い、国土及び万物を創成、天照大神の御父母神にあらせらる。

由緒

御縁起は遠く白鳳の御代十二年癸未歳(六八三)に、郷土の守護神として創建されたと伝えられ、開運、繁栄、満作、授子、安産、延命、長寿の大神として朝野の崇敬篤く、且て大友城主平忠常卿を始め、歴代の守護職が社殿を造営し、更に流鏑馬祭祀料として神田三段歩を寄進された。
古来より上代郷八ヶ村(現在の旭市櫻井、溝原、万歳、関戸、東庄町の舟戸、神田、大久保、東和田)の総鎮守なるを以って、総明神として世人に親しまれ、男女ニ柱の大神を祀る所以により左右大神と称し、明治の御代に町村制の施行に伴い、上代郷と合わせ、新たに神代村の村社として幣帛料供進の社に指定された。
十二年未年毎に盛大に御神幸祭が行われる。

祭礼

月日内容
1月1日歳旦祭
2月3日節分祭
4月第1土曜日例大祭・神楽奉納
8月15日境内社 八幡神社の例祭
11月23日新穀感謝祭(新嘗祭)

神社の様子

左右大神 鳥居 長い石階段
鳥居と長く急な石階段
左右大神 本殿
大きな本殿を間近で見ることができる
左右大神 節分祭
節分祭の様子
左右大神 神楽殿
神楽殿 4月の例大祭に神楽の奉納が行われる
左右大神 神楽
神楽の中では大量の餅や魚、菓子などが盛大に撒かれる

社殿造営・修繕の歴史

武田村千葉氏記録・上代家左右大神由緒書き(延享3年4月記)より抜粋。

元号・月西暦造営・修繕者
白鳳12年癸未9月683年地域民により修理(新規造営の意ともされる)
萬壽4年丁卯11月1027年大友城主平忠常の命により社殿造営
天承元年辛亥12月1131年下総國司千葉大介常重朝臣の命により社殿修繕
建永元年丙寅4月1206年須賀山城主東重胤の命により社殿再建
永和元年乙卯2月1375年千葉満胤の後見人である粟飯原詮胤弾正左衛門尉の命により社殿修繕
寛正2年辛巳8月1461年須賀山城主東宮内少輔縁数朝臣の命により社殿改築
天文23年甲寅8月1554年森山城主平胤富の命により社殿修繕
天正15年丁亥3月1587年森山城主東大膳丈夫棟胤朝臣の命により社殿修繕、鏑流馬祭祀料として神田村田地3段を寄付
延享3年丙寅4月1746年郷中信仰の有志にて本殿、神輿、神具を造営

左右大神 御朱印

左右大神の御朱印は、境外社である櫻井子安神社 社務所にて承っております。
左右大神より車で3分。旭市櫻井1264。

御鎮座地・連絡先

左右神社 ホームページ
千葉県香取郡東庄町舟戸716
担当宮司 上代光正
TEL 0479-68-3387(櫻井子安神社 社務所・宮司宅)