熊野本宮大社 和歌山県田辺市

熊野本宮大社

熊野本宮大社について 由緒

熊野本宮大社は熊野三山(本宮・速玉・那智各大社)の中心、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。

和歌山県と奈良県の境、紀伊半島の中央部、熊野連山の三千六百峰を形成する果無山脈(はてなしさんみゃく)の山間を縫うように流れ、太平洋へと続く熊野川は、まさに熊野の大動脈とされます。
この熊野川の中枢に、古代より熊野巫大神の鎮座されるのが、熊野本宮大社です。
熊野本宮大社は「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」といわれ、熊野の神と言えば本宮のことを指すと推測されています。

熊野坐大神の御鎮座の年代は文献などに明白な記載はありません。
神武東征以前には既に鎮座していたと云われており、社殿は崇神天皇65年(紀元前33年)に創建されたと『皇年代略記』や『神社縁起』に記されています。
奈良時代に仏教を取り入れ、平安朝以後は神仏混交により「熊野権現」と称して、日本の神々に仏名を配するようになりました。
熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、「熊野三所権現」とも呼ばれます。また、十二殿に御祭神をお祀りしていることから「熊野十二社権現」ともいわれます。

平安時代には、宇多法皇から歴代皇族の熊野御幸は百余度に及びました。
これらの御幸に何度か供奉した藤原定家が『明月記』の中で「感涙禁じ難し」と記しており 、困難な山道を歩き熊野の御神前に詣でたことが、いかにありがたく御神徳が高いとされていたかを窺い知ることができます。

南北朝から室町時代にかけて武士や庶民の間に熊野信仰が広がり、熊野には大勢の人々が競って参詣し「蟻の熊野詣」と呼ばれる現象にまでになりました。

明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみお祀りされています。他の八社は石祠として旧社地である大斎原(おおゆのはら)にお祀りし現在に至っています。

御祭神

家都美御子大神(けつみこのおおかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

ご祈願について

厄祓い・家内安全など様々

鎮座地

和歌山県田辺市

境内

熊野本宮大社
鳥居

熊野本宮大社
参道

熊野本宮大社
参道

熊野本宮大社
楼門

熊野本宮大社
社殿

熊野本宮大社 大斎原
大斎原(おおゆのはら)